第3回 アルコール添加の善し悪し

清酒ファンの間でもう一つ問題となっているのが醸造用アルコール添加――「アル添」の問題です。
醸造用アルコールすなわち甲類焼酎を添加している清酒は「本醸造」「吟醸」「大吟醸」という分類になります。アル添していない純米酒は「純米酒」「純米吟醸」「純米大吟醸」と名乗ることが許されます。

純米派の主張は「醸造酒である清酒へ蒸留酒である醸造アルコールを添加するのは本来の清酒からかけ離れている」「外国ではリキュール扱いであり、アル添は醸造酒とはいえない」というものです。
一方、アル添擁護派の主張は「アル添は元禄時代から『柱焼酎』が利用されている伝統がある」「アル添によってすっきりとした味わいを出すことができる」となります。
この主張に対して純米派からは「『柱焼酎』は醸造技術の未熟な時代に仕方なく用いられていたものだ」「どのような原材料で作られたかわからない醸造用アルコールを添加している酒など飲みたくない」という反論が帰ってきます。

私自身はアル添に関しては許容しています。アルコールを添加することでもろみの生成を止め、きりっとしたすっきりタイプの清酒を醸し出すのは日本独自のすばらしい技術だと思いますし、純米だけだとどうしても飽きが来ます。特に食中酒として清酒を飲みたいとき、濃い味付けの和食にはアル添している本醸造の方が合うと思っています。
しかし、現在の「醸造用アルコール=甲類焼酎」を添加するのは反対です。私自身は添加して良いアルコールを種別まで制限するべきだと考えます。それは何か。本格焼酎、それも米焼酎か粕取り焼酎ならば良いと考えます。

そもそもアル添擁護派が持ち出してくる「柱焼酎」ですが、これが発明された元禄時代、柱焼酎に使われていたのは米焼酎か粕取り焼酎だったはずです。
なぜならば、甲類焼酎を製造する技術は明治時代にイギリスから導入されたイルゲス式連続蒸留機がその発祥であるからです。明治時代に甲類焼酎は「新式焼酎」と呼ばれていましたが、それは"文明開化"によって欧米よりもたらされた機械で作られた"ハイカラ"な焼酎だったからなのです。元禄時代に"焼酎"といえば、清酒粕を蒸留して作る粕取り焼酎だったはずです。また、「高級な焼酎を少し加えたものも珍重された」という趣旨の文章も見つかっているようですので、こちらはおそらく米焼酎を添加したのでしょう。そうした経緯を考えるとアル添派が主張する「アル添は歴史ある清酒製造の手法である」という主張は間違いではないものの現状は間違っているといえると思います。
また、本格焼酎のみを添加できるということにすれば、純米派の「どのような原材料で作られたかわからない醸造用アルコールを添加している酒など飲みたくない」という部分も解消されると思います。それでも好みに合わなければ呑まなければよいわけで、「アル添は清酒ではない」というのは清酒の技術向上の歴史を見る限り、間違いではないかと思います。酒は嗜好品ですから、三増酒のように化学的に作られたものは別として、個々の趣向は大切にするべきだと思います。
とはいえ、何でも添加して良いというのは良くないと思いますので、添加できる酒を米焼酎か粕取り焼酎に制限するべきです。

前回と今回をまとめて酒税法の該当項目を書き換えると

酒税法第3条該当項目改正私案

3.「清酒」とは、次に掲げる酒類をいう。
イ 米、米こうじ及び水を原料として発酵させて、こしたもの
ロ 米、米こうじ及び水を原料として発酵させたものに政令で定めるしようちゆうを添加して、こしたもの(イに該当するものを除く。)。ただし、その原料中政令で定めるしようちゆうの重量の合計が米(こうじ米を含む。)の重量を超えないものに限る。
ハ 清酒に清酒かすを加えてこしたもの
4.「合成酒」とは、次に掲げる酒類をいう。
イ アルコール(次号の規定(アルコール分に関する規定を除く。)に該当する酒類(水以外の物品を加えたものを除く。)でアルコール分が36度以上45度以下のものを含む。第9号及び第8条第3号を除き、以下同じ。)、しようちゆう(水以外の物品を加えたものを除く。第6号において同じ。)又は清酒とぶどう糖その他政令で定める物品を原料として製造した酒類で、その香味、色沢その他の性状が清酒に類似するもの
ロ 清酒にしようちゆう又は清酒とぶどう糖その他政令で定める物品を加え、その香味、色沢その他の性状が清酒に類似するもの

上記、別途政令で定めるしようちゆうの私案
次に掲げるアルコール含有物を酒税法第三条第五号 に規定する連続式蒸留機以外の蒸留機(以下「単式蒸留機」という。)により蒸留したもの(水以外の物品を加えたものを除く。)
イ 米、米こうじ及び水を原料として発酵させたもの
ハ 清酒かす及び水を原料として発酵させたもの、清酒かす、米、米こうじ及び水を原料として発酵させたもの又は清酒かす

という感じでしょうか。清酒そのものの範囲や扱いに関する私の提案は今回で終了です。次回からは特定名称などの話題について書いていく予定です。

脚注.2004年1月1日より純米酒の基準が変わり、精米歩合に関する規定が削除されました。その結果、米・米麹・水だけでつくられている清酒はすべて純米酒と名乗ることが可能となりました。

第2回 三増酒と普通酒について考える

前回書いたように清酒は本当に落ち込んでいます。特に清酒の中でも「普通酒」の分野が著しく落ち込んでいます。「普通酒」とは何に対して普通なのかについてまず説明いたします。
清酒には、精米の程度などで細かく分類が分けられています。酒販店で良く目にする「吟醸」「大吟醸」「純米大吟醸」という名称(特定名称酒と呼びます)は、この細かい分類のことで法的に根拠が定められいます。「普通酒」というのはこの特定名称酒以外の清酒を差すもので、概ね清酒全体の7割程度が特定名称酒以外の「普通酒」となります。
普通酒の価格帯は缶チューハイや発泡酒といった低アルコール酒と競争にあります。また、特定名称酒も全体では減少傾向です。これらふたつの観点からだけで「普通酒の出荷量減少」という状況をみると「消費者ニーズの変化によって低アルコール飲料に年々シェアを奪われている」といえなくもありません。

しかし、私は普通酒のシェア減少はこうした消費者ニーズによるものばかりではないと考えています。
普通酒がシェアを減少している上でもっとも一番大きな問題は「三増酒」の問題です。通称「三増酒」と書きますが、正式には「三倍増醸酒」と書きます。三倍という名の通り、清酒を仕込み発酵したもろみに醸造用アルコール(要は、蒸留を繰り返すことで製造される純粋なアルコール=甲類焼酎)をいれ3倍に薄め、そこへ糖類と酸味料(アミノ酸)、化学調味料を投入して味を調えた代物です。これは戦時中、米がなかった時代にできる限り清酒と似た味わいでできる限り多くの酒を生産しようという考えから生み出された苦肉の策で、これはこれでファンが付いているのも事実です。しかし、化学調味料で味付けされた酒と匠の技で吟味された原材料を使用している酒が同じ「清酒」というカテゴリでくくられてしまうのは消費者から見れば変な話です。実際、大手居酒屋チェーンやファミリーレストランで提供されている「清酒」はよほど注記がない限り、ほとんどこの「三増酒」です。世間でよく言われる「翌日に残る日本酒」というのはこの三増酒を呑んでいるために発生することが多いと思います。
この三増酒、実は清酒のカテゴリーでは「普通酒」というところに分類されている上に普通酒はほとんどこの三増酒という有様です。三増酒は激しい競争で味わいの向上したビールや発泡酒、缶チューハイに比べると味わいの面では著しく劣ります。そのため、「普通酒=三増酒」という図式から「普通酒=まずい、翌日に残る」というイメージとなり、ひいては清酒全体のイメージダウンにつながっていると考えられます。

清酒が復権するにはまず「清酒」というカテゴリーから「三増酒」を追放することから始めるべきであると考えます。日本には、大正時代に理化学研究所で発明された米を使わずに醸造アルコールや酸味料、化学調味料だけで清酒のような風味を出した「合成清酒」というものが存在しています。清酒業界では「合成清酒という名称は清酒と紛らわしく、名称を『合成酒』とするべきである」という主張を行っていますが、事実上の合成酒である「三増酒」についても『合成酒』として清酒から独立させるべき時がやってきていると思います。その上で普通酒は、一部の良心的な蔵が実施しているように事実上の純米酒でありながら精米をあまりしないなどの方法でコストを下げて消費者へ提供すればよいのです。これによって、もっとも出荷量の多い普通酒のイメージが変わるための土台が完成し、清酒が復権するための第一歩を歩み始めることが可能になります。

第1回 清酒は本当に急激に衰退したのか

このところ、清酒が衰退しているという報道が極めて多くなっています。その報道では「ここ数年急激に衰退した」ということになっていますが、実はもともと1973年頃から徐々に衰退しています。バブル景気や地酒ブームといった一見すると清酒の需要が増えたかのような時期はありましたが、これは清酒内でのブランド志向の変化にとどまり、良くて微増、年によっては横ばいが関の山という状況です。バブルが崩壊し、地酒ブームが過ぎ去るとそれまで減らなかった分を一気に取り返すかのごとく需要は急激に減少していまいました。そのため、確かにこの数年の推移だけを見て「いままではそれほどでもなかったが、急激に減少」という報道になってしまっているようです。しかし、このようにここ数年で急激に減少したというのは必ずしも正確ではありません。

では、清酒はなぜ少しずつ衰退していったのでしょう。衰退するにはなにがしかの理由があります。それを今回から少しずつ考察し、私なりの提案をしていきたいと考えています。本格焼酎に関するblogで清酒のことを考えるのは変だと思われる方もおいでかもしれませんが、清酒と本格焼酎はともに日本を代表する国の酒-国酒(こくしゅ)であり、どちらかが衰退して良いなどということはないと私は考えています。また、本格焼酎の一つである粕取り焼酎は清酒粕を蒸留して作られるものであり、清酒の衰退=粕取り焼酎の衰退でもあります。その意味でも清酒の衰退は著しく困ったことなのです。

この話題は数回にわたって不定期に書いていきますので、よろしければおつきあい下さい。
※このコラムも含めて、私は清酒に対してあまり日本酒という用語は使いません。これは本格焼酎や泡盛も日本の酒であり、日本酒であるという信念からです。そのため、いわゆる「日本酒」についてはあえて「清酒」と記載しています。この点についてはあらかじめご了承下さい。

いも焼酎/旭萬年(渡邊酒造場)

鹿児島の焼酎が続きましたが、宮崎でもいも焼酎の生産が盛んです。一般的に鹿児島のいも焼酎は濃厚なものが多く、宮崎は優しいタイプのいも焼酎が多いといわれています。
渡邊酒造場さんの萬年は、そうした宮崎焼酎のイメージからかけ離れた濃厚なタイプのいも焼酎です。
白麹旭萬年旭萬年黒麹とラインナップがあり、白麹はゆるゆると呑みたいとき、黒麹は濃いめにして呑んだ満足感を得たいときにそれぞれおすすめです。
やはりお湯割りがベストですが、もちろんロックで呑んでも美味しくいただけます。

焼酎が清酒を抜くも......

毎日新聞の記事から
焼酎出荷量:初めて清酒抜く 03年

これは良いことのようで実はあまりよろしくないというのが私の感想です。

まず、ここでいう焼酎には「甲類焼酎」も含まれており、家で安い焼酎をウーロン茶などで割って呑む人が増えている実態も反映しています。かならずしも本格焼酎だけではありません。

また、清酒の製造量が減少することによって、清酒粕が減少し、粕漬けや粕取り焼酎にとっては危機的な状況が発生しています。清酒の衰退は実は多方面への影響が大きいのです。

もちろん、清酒の衰退は自業自得的なところもあります。糖類やアミノ酸を混ぜて人工的に作り出す「三増酒」(さんぞうしゅ)の問題、酒造好適米である山田錦を使用して淡麗酒作りを目指してしまったことで味わいが似通ってしまったこと、地酒ブームにあおられていままでの作りを大幅に変え巨額な設備投資をしてしまったことで身動きが取れなくなってしまったことなど......。

しかし、本格焼酎と清酒はともに日本を代表する国酒(こくしゅ)であり、両方が健全な発展をしてこそ、日本の酒文化はより良くなると考えています。そのためにも清酒業界は本格焼酎のように「日本酒」の定義をより厳格にし、消費者の信頼を勝ち取れるだけの自己改革をしなければならないときがやってきていると思います。普通酒を三増酒にしてしまったために「普通酒=甘いだけでこくもきれもない翌日に残るまずい酒」という誤ったイメージがぬぐえない状況を一日も早く打開しなければ、清酒の未来はないでしょう。

黒糖焼酎/朝日(朝日酒造)

朝日

いも焼酎をいろいろと紹介してきましたが、今回は少し方向を変え、黒糖焼酎を紹介します。
いろいろな蔵元があり、美味しい焼酎を醸していますが、黒糖焼酎は奄美群島(正確に言うと大島税務所管内)でのみ醸造を許されている特殊な焼酎です。
その中でも私が好きなのは喜界島にある朝日酒造が製造している「朝日」です。ほかにもいろいろな黒糖焼酎があるのですが、朝日のもつこくとなめらかさが私にはあうようで、夏は朝日をロックで呑むことが多いです。私の父はこの朝日を水割りにして呑むのが好きで、よく呑んでいます。
この夏は6:4で割ったものを冷蔵庫で冷やしておいて呑むというのはいかがでしょうか?

いも焼酎/不二才(佐多宗二商店)

有限会社 佐多宗二商店

「薩摩の薩摩」というキャッチコピーの付いたいも焼酎。キャッチコピーの通り、非常に深く濃い味わい。いも焼酎に飲み慣れてくると頷きたくなるそんな味わい。味わいは非常に濃厚なので私は〆にゆったりとした気分で呑みたいときにこの銘柄を選ぶ。けして万人向きではないが、「いも焼酎が大好きで」と公言されている方ならば是非とも味わってほしい逸品。味わいの豊かさに納得されることは間違いない。